我が家には、中学生の娘がいます。
彼女を見ていると、ひたすら自分のしたいことを追求していて、何かと忙しそう。
朝から1時間ほど費やし、ヘアスタイルを整え、アイプチを施してから登校。
美容にかける、その熱量を本人は感じていないようだが、端から見るとまるで好きな子ができたかのような熱心さです。
娘に”気になる人ができたの?”と尋ねても、”全く”の一言。
男の子を嫌悪するような節がある娘を見ていると、たぶんそうなんだろうと思う。
親の影響でしょ?と思われそうだが、恥ずかしいほど、私は美容に無頓着なので
娘に教わることはあっても、見習われるようなことは決してない。
いま彼女の興味は、ただ自分のためにひたすら、自分の中の「可愛いさの最大値」を研究してあるのが見てとれます。
そんな彼女をとても自由で、愛らしく思う。(親バカでスミマセン)
いい年になるまで、『いい女』という見えない水準が存在しているような気がしていた。
学生の頃は『彼女ってこうするもんでしょ』
成人した頃は『大人の女ってこうするもんでしょ』
結婚した頃は『妻って、こうするもんでしょ』
子供が生まれると『母親って、こうするもんでしょ』
どこかで、そういう水準に沿って生きていたら、幸せのレールにのれると信じていたのかもしれません。
私の頭は、気付かぬうちに、先入観や思い込みでカチコチに固まっていたみたい。
若い頃の私がイメージしていた『いい女』って、彼のお世話をやくような『尽くす女』だったり、相手のダメなところを見て見ぬふりをするような『都合のいい女』だったのかもしれない。
いま振り返ると、そんな風に思う。
『大好きな人とずっと一緒❤️』と思って結婚した私なので、この”いい女”という思い込みは結婚してからも続いていました。
母が専業主婦だった影響もあり、”あんな風に完璧にしなきゃ”と思い込んでいたのもあると思います。
でも、ある時『妻だから』『母親だから』とやってきたことが
だんだん息苦しくて、疲れている自分に気付きました。
『いい女』って、要る?
そんなものはサッサと、どこかにやっちゃって、もっと『等身大の自分』で生きていたいな、と 。
あの頃より少しだけ大人になった今は、人からの評価より、自分の中にある基準で、判断して生きていたい、とそんな風に思っている。
そして、子供達に接する時にも、偏りがちな思考を押し付けないようにしたいと思う。
思春期真っ只中で
自分で『私いま反抗期』って言ってる、誰の言うことも聞かない娘。
今日も自分磨きに全フリしている、ように、見える。
そんな娘をまぶしく、愛しく思う。
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